人生を「途上」で終えないために重要な2つのこと
こんにちは。こんばんは。おはようございます。
「夕焼け小焼け」運営のはやけんです!
さて、今回はタイトルの通りのお話ですが、前の記事の続きとなっておりますので、またみていない方は先に読んでいただけたらスムーズかと思います。
簡単におさらいすると、旅をする事で、過程を含めて全てを目標とする感覚を得られるというものでした。
それがなぜ大事なのかというのが今回の記事になります。
今、ここに生きる
結果から行きたいと思います。
過程を含めて全てを目標とする感覚が何故重要なかと言うと、「今、ここを生きる」感覚に繋がって行くからです。
今、ここを生きる。
つまり、「今」に強烈なスポットライトが当たって、「今」以外が真っ黒になっている状態。
今にのみ焦点を合わせ、未来も過去も全く視野に入っていない状態。
それが今、ここを生きる、という事になります。
前回の記事で、登山に例えてお話したかと思います。
登山の目的を、「登頂する」ではなく「登山をする」というものにすれば、過程も含め全てを楽しむ事が出来る。
登頂できなくても登山をした、という達成感が得られる。
大雑把にこういうものでした。
では、もし仮に「登頂する」という目標設定にし登頂できなかった場合、それは失敗となり自分の実力不足、自業自得で終わってしいます。
そして、登頂するまでの過程はまだ「途上」であり、「仮」の自分である。目標を達成してから本当の人生が始まる。
そう捉えることもできますよね。
どうでしょう。
目標が達成出来てないからまだ途上で、まだ仮の姿だなんて虚しくありませんか?
一生達成出来なかったら、その人の人生そのものが仮の人生になってしまう。
そんなの酷じゃないですか?
人生は線ではない
登山の目標を「登頂する」と設定してしまう人は、人生を一本の「線」として捉えてしまいがちです。
生まれてから死ぬまで一本の線がのらりくらり曲がりながら頂点へ達し、そのまま終着する。
この発想は、人生の大半を「途上」としてしまう考え方なのです。
では、どうしたらいいか。
それは人生を一本の線として捉えるのではなく、小さな点の連続として捉えるのです。
「今」という小さな点の連続です。
なぜなら、我々は「今、ここ」にしか生きることが出来ないから。
人によっては、人生を線で追いつけてくる人もいます。
いい大学を出て、いい企業へ。そして、幸せな家庭を築く。
この生き方が悪いと否定している訳ではありません。
敷かれたレールに乗って何となくそう生きてるのではなく、自分が望んでそうしているのであれば。
線の人生を押し付けられた若者は、そう生きる以外どうしたらいいか分からず、そのままレールに乗ってしまいがちです。
しかし、人が敷いたレールに乗っかる人生こそ、途上だと思いませんか?自分でレールを引けないなんていうのは、それこそ仮の人生です。
そうならないためにも
「今、ここを生きる」必要があるのです。
今自分はどうしたいか、自問していくのです。
だから、今を全力で生きましょう。
単純な話、今が輝いてないのに、輝いた未来が来るとは思えません。
サッカー選手だって
ピアニストだって
どっかの会社の社長だって
国会議員だって
そうなりたいために頑張ってきたのではなく、「今」を全力で生きてきた結果、気付いたらそうなってた。そういう人生だと思います。
目的地など存在せず、「今、ここ」を全力で生き、「今」が充実していればそれでいいのです。
輝かしい未来のために、輝いた今を。
それでは!