夕焼け小焼け

夕焼けをこよなく愛する男の雑記ブログ

「言い方が冷たい」「何考えてるか分からない」と言われてきた人生

私は昔から「変わってるね」「言い方が冷たい」「何考えてるか分からない」「目が死んでる」と言われてきた。

覚えていないが、本当にずっと言われてきたと思う。それを自覚しだしたのは大学生ころだったか。これまでそう言われることをほとんど意識してこなかったが、最近はそれ故うまくいかない事がある。それらは主に人付き合いにおいて悪い働きをする。仕事において恋人との関係において様々。

なぜ、そう言われるのか。そういう態度を自分がとってしまうのは何故なのか。最近はよく考える。考えざるを得ない。

「言い方が冷たい」というのは、基本なんとも思っていないからである。別にいいと思うから別にいいですってさらっと言ってしまう。その上自分は感情を交えた交流がおそらく苦手である。相手の気持ちも考えきれないところもある。こう言ったら、これをしたら、と考えもせず言ってしまうし、後になってから気づく。気づかない時だっていっぱいあっただろう。これ欲しい〜って話をされたら買えば?と即答してしまう時もある。すぐに答えをそれを言ってしまう。男性的と言われればそうなのかもしれないが、きっと普通の人より顕著なんじゃないかなあ。言葉に感情を乗せることもうまくできない。色々と話をされて、「はい、わかりました」と答えると本当に分かってる?と聞き返されてしまうことも多い。実際は分かっているのでこなせるのだが、そう言われてしまうということはきっと伝わり切っていないんだろうと思う。感情が乗ってないからだと思う。

だから私は文章を書くことの方が好きである。喋るのが嫌いなわけではないが、書いた方が考えがまとまる。そう言った自覚があるが故に書きたがるのかもしれない。

また、心の友と呼べる人もいない。多分これが原因。

「目が死んでる」というのは本当によく言われる。その度私はそんな死んでますか?と聞いている。自覚がないのである。どんな時に死んだ目をしているのか全く分からない。調子のいい時ですら言われる。これに関してはどうしたらいいのか全く分からない。生きた目をするための講座なんてないかなあ。参加してみたいものである。

「考えてることが分からない」というのもよく言われる。私生活が謎ともよく言われる。基本、私は何も考えていない。その上、自分でも何を考えているか分かっていない。アイデンティティーが確立されていないように思う。永遠のモラトリアム。カタカナにすればなんでもかっこいいが、その実ただの大人の皮をかぶった子どもである。かっこよさは、何もない。

「変わってるね」というのは上記のことを総じてだと思う。変わっていて何が悪いと開き直っている自分もいれば、そう言われるのが嫌いな自分もいる。そう言われるのをどうにかしたいと思う自分もいれば、どうにもできないと思っている自分もいる。でもできればそう言われる事の人生を歩んで生きたい。変えられるものなら変えたいが、大人の凝り固まった人格ではなかなか難しい。これまで気をつけてきたつもりだが、ぽろっとそういう側面は出てしまう。

 

それでも中にはそんな私を理解して関わってくれる人がいる。そうそう、あなたはそう思ってないのは分かっているんだけど、それでもね、と話をしてくれる先輩もいた。

「おれはこういう人間だ。皆、理解しろ!」と傲慢こいてるつもりはないが、そう思われる節もあるみたい。私の基本スタンスはあなたのことも理解するから、私のことも理解してねというもの。

きっと今後も他人から許されていく人生なんだろうなあ。理解を得られなかったらすぐに逃げ出す、私は弱い人間である。

 

と自覚するのが第一歩。これから、どうやって生きていこ。